抽象的なモノの言語化のしづらさ
幸せや不幸せみたいな抽象的なことについて書こうとすると言語化しづらいなぁって感じたので書き出し
言語化しづらいのは当然
抽象的なんだから言語化しづらいのは当たり前だとは思うんだけど、そもそもなんで抽象的だと言語化しづらいんだろう?
それは、どこに注目すればいいかわからないことが原因な気がする
言語化しづらいのは視点のズレ
視点のズレが言語化しづらい原因な気がする
というのも、抽象的な事を言語化して書き出す時
途中で仮説を証明し出したりするんだよね
例えば、「幸せと不幸」について日記を書いた時も、最初は僕の視点で書く
けど、途中から仮説が当たっているかを証明し出す
そうすると、視点が僕から別の何かに置き換わって脱線する
その視点のズレが抽象的なことをより言語化しづらくしているんだと思う
だから、日記は僕視点で書くものなんだから、視点はズラさせない方が良いんだと思う
抽象的なモノの読みづらさ
あと、抽象的な事について書いた日記を読み返した時
違和感を感じることが多いい
その違和感は、僕は知っているけど、第三者は知らないから理解できないんじゃないか?って違和感
例えるなら、見たこともないスポーツのラジオ実況を聞いている感覚が近い
野球やサッカーのラジオ実況を聞いて理解できるのは、見たことがあって知っているからで、僕の日記は僕は知っているけど、第三者が知ろうとしても知ることができない部分があって、それを知ることができないから理解することができないんじゃないか?って話
伝わるかなぁ?
で、抽象的なことはいくら言語化をしても、そもそも伝わらないのかもしれない
抽象的なモノを伝えるにはイメージを使うしかない
抽象的なモノを言語で説明できないのは当たっている気がする
というのも、「幸せと不幸せ」をテーマにした本って毎年のように出ている気がするんだけどさ
世間一般の「幸せと不幸せ」に対する認識って未だに抽象的なままだから
なので、抽象的なモノを言語で伝えるのは不可能なんだと思う
じゃあ、代わりに何で伝えるか?
それは、映像や画像のような「イメージ」なんだと思う
実際、野球やサッカーを理解している人は映像や漫画のようなイメージから入って理解をしているわけで、イメージ無しに文字などの言語のみで理解をしている人はいない
だから、抽象的なモノを伝えようと思うと、言語で伝えるのは不可能で、イメージじゃないと伝えられないんだと思う
まとめ
抽象的なことが言語化しづらいのは、途中で仮説を証明しようとして視点がブレてしまっているから
また、抽象的なことを言語のみで完璧に伝えることはできなくて、映像や画像などのイメージを使わないと伝えることができない
だから、僕は抽象的なモノを言語化がしづらい
って考えると腑に落ちる
終わりに
今回の日記も抽象的でまとめづらかった
途中で何を書いているか分からなくなる感覚に襲われたけど、なんとか言語化しきった
一応、上に書いたこと以外で言いたいことがあってさ
僕は毎回楽しく日記を書いているんだけど、日記を読み返してもその楽しさが全く伝わらないって感じているんだよね
それは、僕が日本語をあまり得意としていないというのも関係しているけど、楽しさも抽象的でさ
今回書いたように、抽象的な事を文字などの言語で伝えるのはそもそも不可能という話で、もし伝えようと思うと漫画のようなイメージとして伝えるしかないんだと思う
ずっと不思議だったんだよね
僕は楽しいのに、その楽しさがサイトを訪れてくれる人には伝わらないなぁーって…
けど、抽象的なことを伝えるにはイメージとして具体的にしないといけないって考えると腑に落ちる
そうなると、やっぱり漫画として描くのは正しい気がする
ちょうど本格的にお金を稼ごうと思っていて、具体的にどうするかを考えた時に、漫画を使ってのお金稼ぎが候補に上がっていた
それに、ここ最近は漫画の作業をすることに対する抵抗も減ってきたし、漫画を使ってお金を稼ぐ土台ができ始めているし、何かを伝えたりお金を稼ごうと思うと漫画を使うのが一番良いんだろうね
とりあえずは、ブログ周りのカスタマイズを行ったら本格的に作業を始めようと思う