遠くを見がち
妄想をして遠くを見る時があるのだが、「上手くいっていない時ほど遠くを見る」という性質があるのではないかと思ったので書き出し。
遠くを見ている(妄想と理想の違い)
妄想をする時は、大抵何かしらで成功している自分の姿を想像している。サッカーで活躍している姿や、漫画で上手くいっている姿などだ。基本的には現実が上手くいっておらず、現実逃避としてそういう妄想をするのだと思うが、現実(漫画の制作など)が上手くいっている時でも妄想をすることはある。
ここで大きな違いとなるのは、「それが今の自分の延長線上にあるかどうか」だと思う。漫画に関する妄想は今の自分の努力の延長線上にあるため「理想」と呼べるが、たまにするサッカーで活躍している姿の想像は、今の自分の延長線上にはないため、純粋な「妄想」だと言える。
純粋な妄想に関しては、ワールドカップや欧州クラブの記事などを追って楽しんでいるだけなので問題ない。厄介なのは、「理想」という遠くを見る方の妄想だ。理想は現実と直接比較し、距離感を感じダメージを受けてしまうことがある。その結果として現実逃避が加速してしまうから良くない。だから、この「理想という遠くを見る行為」には注意が必要なのだと思う。
なぜ「理想という遠く」を見るのか?
では、なぜ理想という遠くを見てしまうのか。それは、目的地がどこにあるのかを確認するためなのだと思う。今進んでいる方向が合っているかどうかを確認するために、遠くにある目的地(理想)を思い描く。
そう考えれば、上手くいっている時・いっていない時にかかわらず、遠くの理想を見ることには説明がつく。
遠くを見る時に伴う「後ろめたさ」の正体
ただ、純粋に目的地を確認しているだけでなく、「目の前の問題から目を逸らしている」という感覚もある。
というのも、上手くいっていて遠くを見る時には後ろめたさがないが、上手くいっていない時に遠くを見るのには、何か後ろめたさのようなものを感じるから。
たとえば、模試を受けて志望校の判定は悪かったのに、「前回よりは良かったから一歩前進した、ヨシ!」と一喜一憂している状態に近い。前進しているという点は良く、希望もあるのだが、現役(制限時間内)で合格するという本来の目的から見れば芳しくない。現役合格というシビアな現実から目を逸らし、浪人前提の「ヨシ!」にすり替わっているというイメージ。
この時の後ろめたさというのは、「近づいてはいるが、今のペースだといつ辿り着くかわからない」という、進行速度に対する後ろめたさなのだと思う。
つまり、遠くを見るのは目的地を確認するためだけでなく、自分の進行速度や「いつ辿り着くか?」という到着予想時刻など、見えないモノを確認するためでもあるのだろう。
具体的な対策
では、具体的にどうすればいいのか。
遠くを見て目的地を確認したなら、「そこへ向かってきちんと行動を取れているか」を確認することが大事なのだと思う。目的地を確認しただけで何も行動していないのなら、その確認には意味がない。
到着時刻に関しても同じで、「このままのペースではいつ辿り着くかわからない(後ろめたい)」と感じたのであれば、そのための対処方法を考える必要がある。そうした軌道修正の行動が取れているかを確認するのが重要なのだ。
もし、遠くを見ただけで何も行動が伴っていないのであれば、それは単なる現実逃避でしかない。目の前に何らかの障害があって向き合えていない状況の表れなので、「きちんと現実に向き合い対処すべき合図」だと捉えるべきだと思う。
終わりに
上手くいっていようがいまいが、遠くを見て目的地を確認するという行動自体は取るものらしい。重要なのは、「遠くを見た時に後ろめたさがあるかどうか」、そして「目的地に向かうための行動を取れているか」という点だ。後ろめたさを感じていても、それに対する行動が伴っているのであれば問題ないが、遠くを見るだけで何もしないのなら、それはただの現実逃避だ。その辺りはきちんと確認しようと思う。
書いていて、2点気になったことがある。
1つは、「老後」を気にする人が多いとよく聞くが、これも現実逃避で遠くを見ている典型例なのかな、と思ったことだ。というのも、今が上手くいっていたら老後を気にせず、目の前の現実に全力で取り組む気がする。上手くいかなくなり始めてから、そういう「遠く」を見出すイメージだ。健康的な20代の若者はそういうのを気にしないが、体が思うように動かなくなり始めてから考え出す。しかし、本当に見なければいけないのは遠くの「老後」ではなく、目の前にある「健康や現状の問題」であり、老後を心配するのは現実逃避の一種なのだろう。なんとなく、健康的で仕事もできる状態なら「老後も働けばいっか、暇だし元気だし」という感じで、特に気にしない気がする。
もう1つは、「理想=現実」という状態の人間は存在するのか?という疑問だ。
人間というのは何もしなくても老い、劣化していく生き物だ。仮に20代前半が理想の自分だとしたら、そこから劣化し、理想の自分は徐々に離れていく。スポーツ選手も、ある瞬間に理想の試合ができて強敵に勝てたとしても、次の試合で同じことができるとは限らない。
一瞬だけ「理想=現実」になることはあっても、常に理想の状態を維持できるわけではない。理想と現実の間には反発力のようなものが存在し、近づける努力をし続けなければ、自然と離れていく関係性なのだろう。そう考えると、ずっと「理想=現実」であり続ける人間は存在しないのではないかと思った。
前に、AI使わない方がいいんじゃね?って日記かいたんだけど、使わないと無理だ、まとまらん。AI使うと、僕の考えたことを日本語という言語の枠に上手く収めてくれて、収まりが良いって感じがある。どうにも、僕は日本語が苦手なんだと思う。また、前に例えが大事、イメージできるような文章を書くのが大事って書いたけど、AIじゃなくてイメージがしやすい文章を書けないのが問題な気がしてきた。んーとりあえず、これ以上掘り下げてもしょうがないし、既に問題は解決済みだし、リリースすかな。