動画を見る理由
暇な時間があれば動画を流すのが気になったので書き出し。
無意味さを理解しつつ動画を流す自分
自宅でリラックスして過ごす際に、必ずといっていいほど動画を流す僕がいる。
特に気になるのが、風呂に入っている時とか、ストレッチをしている時にも動画を流す点。風呂はまだわかるけど、ストレッチしている時ってアイマスク(冷)で目を冷やしているから動画を物理的に見れないんだよね。それに、動画を流しているのに、その動画の内容を全く聞いてない感覚もあり、「意味なくね?」とうっすら理解しながら流している僕がいるのが気になった。
緊張の緩和と「退屈」からの逃避
流す理由としては、緊張状態をほぐしてリラックスしようとしているって面はあるのかなぁって思う。漫画の作業の時にも動画を流したりするんだけど、それは絵を描くのが嫌いで身構えてしまうなど緊張をほぐそうとして流している。風呂やストレッチでも緊張をほぐす、リラックスするために流しているとすると腑に落ちる。
ただ、内容はどうでもいいというか、ほとんど聞いてない感覚もあるんだよね。ただただ、耳や頭が暇で退屈を埋めるため、暇というストレスを感じないために動画を流しているという感覚がある。
リラックスするためというよりは、退屈というストレスから目を逸らすために動画を流していると考える方がしっくりくる。
生存本能としての「情報を食べる」行為
なぜ、そういう退屈を嫌がるのかって考えると、生存本能なんだと思う。
人間は情報を食べる生き物で、子供の頃から目の前にあるものをとりあえず口に入れて、「それが食べられるか?」という情報を確認している。大人になっても書物やコミュニケーションをとり情報を食べている。
人間が生き残る上で情報は重要。退屈というのは情報がない状態、その状態は生存本能的によろしくないから、情報という刺激を摂取するために行動する。
そして、現代にはスマホなど、容易に情報という刺激に触れることができるツールがある。動画というのは視覚や聴覚などの情報の塊で、少しでも退屈を感じたら情報という刺激を生存本能が求め、スマホで動画にアクセスするとしたら動画を見ようとする僕の行動も説明がつくかなぁって思う。
自分自身が反応する「情報」のネタ探し
とは言え、風呂場で体を洗っている時や、朝顔を洗うようなちょっとしたすき間時間に動画ではなくミュージック動画を流そうとする。短時間かつ物理的に視覚や聴覚が閉ざされたりしているから動画ではなくミュージック動画を流す。それも暇だからってのは間違いなくある。けど、音楽には情報ないと思うんだよね。気分が上がるみたいなのはあるけど、情報ではない気がする。
けど、流す音楽は僕が興味関心のあるミュージック動画で、自身がどんな情報に反応している(刺激を受けているか)という情報を食っていると考えると納得かもしれない。
動画を通して自分自身が何に反応をしているか探っているという話で、その反応を見て言語化の材料にしようとしている。日記のネタを探しているって話かもしれない。これは確かにあって、僕が見る動画も僕の興味のある動画だらけで、風呂場でもストレッチ中でもシチュエーションを変えて、そういう興味のありそうな動画を流すことで僕自身がどういう反応するのかってのを確認しているとすると納得かもしれない。事実、普段イヤホン越しに音楽を聞くが、スピーカー越しの音楽だとまた違った感覚を感じることがあり異なる情報を食べることができたりする。
また、すき間時間にミュージック動画を流すのもすき間時間を使って勉強するようなモノで、ちょっとしたすき間時間を使って僕自身の反応を確認しているんだと思う。すき間時間でも勉強できるならした方がいいわけで、ベストを尽くそうとして、そういうすき間時間でも無駄なく使おうとした結果のミュージック動画だと考えると納得。
自分が何に興味を持っているかという「自分自身の情報」を食っていると考えれば、不思議な行動ではないのかなぁって思った。
「生き残るための情報」を食べている
だとすると、暇でストレスだから動画を見ているわけではないのか?暇な時間を有効活用して、自分自身の情報収集をしているってことになる。僕はないんだけど、暇な時にSNSを開いてしまうってのも、他人の情報ではなく、それを見て自身がどう感じるのか?という自分自身の情報を食べているのか?いや他人の情報を食べているよなぁ。毒キノコの情報を食べることで、自身がどう感じるか?って情報を食べているわけではない。あくまでも「生き残るための情報を食べてる」。
「生き残るための情報を食べてる」ってのが根本の情報を食べる理由だよなぁ。って考えると、僕が僕の情報を食べるのも説明つくか。僕は欲しかったモノを作るために生きているわけで、それは僕の中にあるわけだから、自分自身の情報を食べて自分自身を知る必要がある。SNSを見る人もそこに自身が生き残るために必要な情報があるからって話で、基本的に「生き残るための情報を食べている」のだと思う。
だとすると、最近アニメを見るようになったのはなんだ?これも「生き残るための情報を食べている」ってことなのかもしれない。漫画の方で色々と試行錯誤をしているからこれがきっかけな気がする。実際、見ていると展開が急展開に感じたりするけど、声優パワーで押し通したりして、プロすげーって感じで気づきがあったりした。これも、アニメを通して自身の欲しかったモノを作るための情報、生き残るための情報を食っているといえるか。
そう考えると、その時に何に興味をもったり、何の情報を食っているか?ってのを確認すると、何が問題なのかってのがわかるのかもしれない。
行動の理由をその都度確認する
少し前に、英語の動画を流すって行動をしてた。あの時は、仕事も考え事も漫画も特に悩んで無かった気がする。単純に「生き残るための情報」で食べるモノがなく、英語を聞き取れるようになったら生存確率上がるか、暇だし試してみるかって感じで試したのかなぁ。時間が経ってしまい思い出せないけど、今度からなんでその動画を流すのかって確認してみようと思った。
仮想現実(ゲーム)での情報摂取と無駄のなさ
「生き残るための情報を食べている」ってのは合っている気がする。
今回、「動画を流す」って行動を客観的に認識するきっかけが、「何を再生しようか?」と動画を選択してたら寝る時間が遅くなるって問題が発生したからなんだけど、こうやって書き出したことで認識し、「動画を流さない」「必要ない」と説明したら問題は解消した。
なんというか暇になると思考停止状態になり、本能が何か情報を食べようとするのかなぁって思う。ただ、そういう時ってゲームしがちなんだよなぁ。でも、ゲームに関しては情報を食ってると言えるのか?いや、食っている気がするなぁ。少なくとも興味のあるゲームをするわけだから刺激はあるし、刺激は情報だもんなぁ。ゲームをすることは情報を食べているといえるけど、現実で役に立つ情報ではない、そのゲーム内で「生き残るための情報」って感じで、本能が誤認している可能性はある。あくまでも、ゲーム(仮想現実)内での情報を食っているという話で、情報を食っているのは間違いない。
まぁ、僕に関しては、動画もゲームも言語化で調理して(欲しかったモノを作るための)刺激のある情報として美味しく食べられるから無駄はないのかなぁって思う。
終わりに
とりあえず、暇な時に動画を流すのは「生き残るための情報」を食べるためって考えると納得だわ。あと、僕の場合は日記のネタ探しで、僕の微々たる変化を探すために動画を流すってのはあるかも。実際、一挙手一投足見てて、なんでこう感じるんだろう?って言語化しているもんなぁ。であれば、情報がない状態、動画を流さないでいるってのも試すべきな気がするんだけど、刺激が無ければ反応(動き)ないもんなぁ。動物園で動かない動物ほど退屈なモノはない。でも、その動かない動物が僕なわけで、なんで動かないの?って言語化はできる。あーでも、「動画をみない」って意識を持ってやったらダメか。今回みたいに「気づいたら動画見てしまう、なんで?」って形で言語化しないといけないから、刑務所みたいにスマホがない環境で試さないと多分意味がないわ。
前回の「知らない他人が毎日のように亡くなっているのに、身近な人が亡くなると悲しむのはなぜか?」もそうなんだけど、文量が多い日記が続くのが気になる。普段、上に書いたことをまとめて結論から書き始める。けど、日記としては、こういう自問自答している体裁の日記がいいってのは昔から考えてて、少しずつそっちにシフトしようとしているんかなぁ?以前、AI使わない方がいいんじゃね?って書いたのに結局使っているし、AI使わなくて済む方向にシフトしている可能性あるかも。うっすら、「今回もAI使ったわー」って気になってたし。だとすると、無意識さん優秀過ぎんだよなぁ。進みたい方向、進むべき方向に勝手にレールを微調整してくれてるような話だし。ちょいちょいあるんだよなぁ。こういう無意識さんが勝手に進路を整えてくれること。まぁ、毒キノコ食ったらやばいって情報食ったのに、無意識のうちに毒キノコ食うとかないわけで、情報食ったら無意識レベルでそれを危ないって認識できるようになったりする機能はあったりするんだと思う。赤ちゃんも食うなって怒ったら食わんわけで、学習するわけだし。