日記

他人の死と財産

ふと、「知らない他人が毎日のように亡くなっているのに、身近な人が亡くなると悲しむのはなぜか?」ということが気になったので書き出し。

「投資した時間」が悲しみを決める

なんで、知らない他人の死は悲しめないのに、身近な人の死が悲しめるかって考えると、身近な人は自身にとっての「財産」だからなのかなぁと思った。

人間には寿命があって、「時間」は貴重な財産。その貴重な「時間」を自分なり他人などに投資する。その投資時間に応じて、「親友」「友人」「知人」「他人」といったランク付けが行われるわけで、そりゃ他人がいくら死んだとしても悲しくない。だって、その人に時間を投資してないから。けど、親友など最も投資した時間が多い身近な人が亡くなると悲しい。なぜなら、それまで投資した時間という財産が無駄になるから。

って感じで、その人にどれだけの時間を投資したかで、悲しみの量は変わるんじゃないかって思った。

悲しみの大きさ:人とお金の違い

なんとなくだけど、時間とお金で失った時の大きさの違いが気になった。
例えば、子供や親友など投資した時間が大きい人が亡くなった時と、1000万など大金を失った時で悲しみの大きさが変わるのが気になった。というのも、子供や親友を失って自殺する人はあまり聞かないけど、大金を失って自殺する人の話はよく聞くから。

だから、お金の方が人より価値があるのか?って考えたんだけど、自殺を決意するのは悲しみというよりは「不安」が原因な気がする。お金というのは「自分自身のため」に稼ぐけど、子供や親友に時間を使うのは「自分自身のため」ではなく、「その人のため」に時間を割くという感覚で目的が違う(気がする)。

お金は老後や自分自身のために稼いでいるわけで、そういう将来のためのお金が無くなると「この先どうすればいいんだ?」と不安を感じ自殺する理由になるが、子供や親友というのは自分自身のためではなく、自身の将来にそこまで大きく影響がなく、不安を感じないから自殺をしないって話。

ただ、子供に老後の生活の世話をしてもらうとか、親友以外に友達がいないなど、依存度によっては後追い自殺とかしたりするのかなぁって気がする。有名人が亡くなると自殺率が上がるらしいけど、それも依存度や不安が関係してたりするのかも。

という具合に、不安と悲しみは別って話で、どっちも失ったら悲しいんだと思う。

悲しみより「将来の不安」が勝るケース

少しうがった見方だけど、未成年の子供を持ち不自由なく生活をしている家庭で、稼ぎ頭である父親が唐突に亡くなった家庭では、この先のお金の不安と父親が亡くなった悲しみで純粋に悲しめないんじゃないか?って思った。それは、身近な人が亡くなったことと将来の不安が重なるからで、純粋な悲しみではない気がする。どっちかというと、将来の不安が勝つ気がする。扶養されてぬくぬくしてた所から急変して当事者意識を持たざるを得なくなるわけだし。

なんというか、人が亡くなる悲しみより、自身の将来の不安の方が強い気がして、純粋に悲しむためにはまずは不安がない状態じゃないと悲しめないんじゃないかって思った。だから、不安で泣くに泣けない場合もあったりするのかなぁって思った。

「自身の時間を奪う存在」への価値の変化

話は戻って、身近な人は「財産」だから悲しめるって部分の補足。

親という存在はその人にとって貴重な存在。子供の頃であれば、自分自身を養ってくれるから価値があるし、社会に出始めても食事や住む場所を提供をしてくれるから価値がある。自分自身の時間や労力を賄ってくれる存在だから価値があるため亡くなると悲しいが、年をとり介護が必要な状態になり、「自身の時間を奪う存在」になると価値が徐々に無くなるのかなぁって思った。

つい最近も、親の介護疲れで親を殺したってニュースみたし、老老介護は問題視されている。貴重な親という存在でも、自分自身の時間を奪う存在になると、悲しむどころか憎しむようになるのだから、それだけ自分自身の時間というのは貴重なのかもしれない。

じゃあ、お金と時間のどちらが重要なのか?って考えると、お金なのかなぁって気がする。年老いた親は何かしらの資産を持っているわけで、遺産を相続する目的で介護している面はある気がするから。もし、遺産無いんだったら、生活保護取らせて施設に入れてお終いだし、遺産相続というお金のために我慢して自分自身の時間を割いているって考えるとお金の方が価値があるように見える。

もちろん、義理人情で動いたり、周りの目を気にしたり、そういった制度(小賢しい方法)を知らないとか面倒くさいとかで仕方なしに面倒見るってのはあると思う。
けど、今ある親の資産を売っぱらって生活保護を受けさせるみたいなことをするくらいなら、自分自身の時間を投資するって行動を取るんだから、「お金 > 自身の時間」って構図なのは合っている気がする。

そう考えると、世の中お金ってのは正しいのかもなぁ。
悲しみや憎しみや時間を上回るのがお金で、世の中お金が全て。
十分なお金がないと、不安を感じたりで純粋に悲しむことすらできないのかもしれない。

共感による悲しみ

少し話は逸れるけど、クラスメイトが亡くなったとして、親友や友人など近しい人が泣くのはわかるけど、近しくない人も泣く気がする。なんでかって考えると、共感なのかなぁって思った。

煽り運転とかマナーの悪い外国人の動画を見て共感で怒ったりすることはできるわけで、そういう共感で悲しむってのもできるのかなぁって思う。

だとすると、共感で赤の他人の死ですら悲しむこと自体は可能ってことなんだろうね。

終わりに:自分の場合はどうなのか

あまり良い考え方ではないんだろうけど、その人が自身にとって財産であるかどうか?どれだけの時間を投資したかが、悲しみの度合いを左右しているってのは正しいと思う。

僕自身、昔から誰かのファンになるとか、特定の人間に入れ込むって経験が無いんだけど、それはその人が居なくなった時に、僕に何も残らないのが怖いって恐怖を子供の頃から感じてたから。今もそうで、僕は基本僕に時間を割いている。だから、身近な人が亡くなっても悲しめないって感覚がある。今回言語化したことで、他人に時間を割いていないから悲しめないんだなぁってわかった。

あと、両親の死でも悲しめないって感覚があるんだよね。これは、少しどうかと思うんだけど、両親は僕より先に死ぬってわかっているから、先に親孝行や親と一緒にいる時間を設けるようにしているんだよね。なんというか、亡くなった時に「おつかれー」って言えるようにしているって感じ。なので、そんなに悲しめないって話。

それに、悲しいって後悔入っている気がする。もっとこうしておけば良かったって後悔があるから、悲しめる。やり切ったって思えれば、涙は出てこないんじゃないかな。スポーツ選手なんかでも、やり切った人は涙無いけど、怪我なんかで不本意ながら引退する人は涙が出るって感じ。
ただ、ファンってどちらのパターンにしろ泣く気がする。共感ってのも違和感、だってやり切って涙無いのになんでファンが泣くの?って話。なんでかって考えると、「応援してた選手」が居なくなる悲しみなのかもしれない。そこに時間を投資し続けたわけで、それが無駄になる?もっと別のことに時間をつかっておけばと後悔?って感じじゃないよな。子供が立派になった的なうれし涙かなぁ。

うれし涙ってなんだ?嬉しいとなんで涙でる?頑張った、報われたことで涙がでる?謎だけど、感情がバグっているって考えると納得かも。あー、これは「悲しい=涙」で考えるとおかしくなるなぁ。涙って眠いと出るし、感情(喜怒哀楽)が高ぶるとなんか勝手にでるもんだから、そこは切り離さないと駄目だわ。あくまでも「悲しい」って感情に焦点合わせておかないとずれる。

とりあえず、僕は身近な人の死でも悲しめないって感覚があったけど、人は財産で、その人に時間を投資すればするほど悲しい、投資してないから悲しくない、後悔があるから悲しい、僕は後悔しないよう親孝行しているから悲しくないって考えると納得だわ。あと、人間いつか死ぬよねって理解しているから悲しくない。って話だわ。

それと、どの視点で見ているかも関係してくるなぁ。僕は客観的に物事を見る習慣があるから、そういうものだよねって割り切れるけど、主観的に物事を見てたら突然の訃報とか悲しいって感じると思うわ。冷静に物事を見ているから悲しくないって面もあるなぁ。

久しぶりにこういう日記書いたけど、上手くまとまらなくて笑う。
でも、こういう昔から思ってたけど、なんでだろう?ってのを言語化するとスッキリするわ。特に、主観的や客観的に日常を送っているか?って部分は結構重要な気がする。僕も、主観的に生きてたら割と泣く感覚がある。ここの発見は個人的に結構でかいかもしれない。年取ると涙脆くなるってのも変化のない日常で主観的に目の前のことを淡々とこなし頭を使ってなく客観的に物事を見れなくなるって考えると納得だし。なんか色々と応用ききそうで面白いおもちゃ手に入れた感覚だわ。長くて見返すのしんどいのでリリース。

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