漫画の助走
なんか漫画の作業をする時に「助走」という、作業を始める前の準備期間があって気になったので書き出し。
学生時代から続く「助走」
助走自体は学生時代からあった。「勉強するぞ」って決めて机に向かったのに、漫画や携帯を弄って時間が潰れるってやつ。で、大体1時間くらいダラダラすると「やべぇ、こんなに時間経ってる」って焦って勉強を始める。集中し出すまでに「助走」が必要だからそう呼んでいる。そんな学生時代からある助走期間が、漫画を描く時にも発生している。
共通しているのは、どちらも「嫌いでやりたくない」という点。だから、そういう「やりたくない」作業をする時には助走が発生するのかなぁって思う。
助走が必要な理由
じゃあ、なんでそういう助走が必要なのか?
単純に作業をする理由がないからなのかなぁって思う。嫌いでやりたくないことなんだから、やらない理由はあってもやる理由はない。人間は理由なしに行動をしない生き物だし。テストや納期が迫っているなど明確な理由があれば嫌々やるが、無ければ基本しない。だから、本来ならそのまま「やらない」で終わってしまう。
けど、そんな理由がない中でも、どうにかして自分にその行動をさせたい。そこで必要になるのが、行動するための理由を無理やり作り出すための「助走」なんだと思う。
とりあえず目の前に座って、それをする理由が大きくなるまで待つ。それが「そろそろやらないとやばい」って時間経過による焦りなんだと思う。つまり助走ってのは、行動する理由(焦り)を自分の中に育てるための待機時間なんだと思う。
すんなり作業に入れない理由
とはいえ、すんなり作業ができない理由がしっくりこない。というのも、僕は言語化で問題を解決してきている。嫌いだしやりたくないことでも、少しずつ「なんで?」と掘り下げて言語化してきている。だから、以前と比べればすんなり作業に入れるし、調子が良ければ助走無しに作業をすること自体も少ないが経験はある。
学生時代でもテスト前であれば助走無しで勉強できたんだよね。だから、理由があれば出来るって分かっているし、その理由を今の僕は用意できるはず。けど、すぐに作業に入れない。なぜか?
正解がわからないという感覚
これは、「どこから手を付けていいのかわからない」「答えがわからない」って事が原因なんじゃないかって思う。テスト前などであれば、テスト範囲が決まっているため、ある程度「ここを勉強すればいい」とわかるけど、それ以外の勉強って受験や将来のためなど漠然とした未来の勉強で、「何から勉強をしたらいいか」がわからなかった。そして、まず取り掛かるのが単語の書き取り。頭を使わず、やっている感を感じやすい作業から始めてた。
漫画も同じで、「どうすれば正解かわからない」という感覚は確かにある。そして、同じように「どこから作業をしたらいいか」「何をどうすればそれっぽくなるのか」がわからない。これはやる限りにはベストを尽くそうとしたり、一度でなんとかしようって考えているせい。どちらも頭を使って答えをだす必要があるが、その答えがわからないってのはやっぱりあるかなぁ。
「初めての感覚」とエンジンの温まり
そうわかっているから、作業を始める前に言語化して、作業をする時には頭を使わず、助走をせずに作業できるように試行錯誤を既にしている。けど、それでも助走が発生してんだよなぁ。何でだっけか?
漫画は視覚的なコンテンツで全部が全部言語化できるわけではなく、とりあえず描いて、試行回数や経験値を稼ぐ必要があるって話だっけか?言語化しようにも単純に材料が足りなくて言語化しきれないんだよなぁ。で、とりあえず描く必要があるんだけど、上に書いたベストを尽くそうとしたり、一度でなんとかしようとしたりして手が止まって助走が発生するって負のスパイラルが発生しているって感じ。
あと、「初めての感覚」が大事だった気がする。助走なしで適当に描くことも意識すれば可能なんだけど、一度適当に描き出すとそれ以降も適当になるというか、何か自分の中で致命的なズレが発生する感覚が気になる。それに、最初に全力で描いて時間を置いてみた時のズレから得られる感覚が個人的に貴重だったはず。
実際、今描いている読み切りでも、当時「これが正しい」って思い描いてたのに、後で見返すと違和感という現象が何度か発生している。適当に描いてしまうと「適当に描いているんだから当たり前」とスルーしてしまうが、本気で描いているが故にそのズレをきちんと認識し、思考のテーブルに上げることができる。だから、助走をしてでも本気で描けるよう、エンジンが温まるのを待つ必要があるって感じの理由があったはず。
下描きとペン入れでの助走の違い
初めての感覚が大事だから、エンジンがかかるのを待つために助走で時間を稼ぐってのはそうなんだよなぁ。
じゃあ、具体的にそれを待つことでメリットがあったか?って考えると、ペン入れでは確かにメリットを感じるが、下描きではほとんどない気がする。これは下描きは何度も描き直すのが前提だけど、ペン入れは基本一度しか描かないって違いがあるから。また、ペン入れでは「良い」って思ってペン入れしたけど、描きあがって見返すと「なんか薄い」みたいに最初と後で見え方が違うって経験がある。描いてる時と後で見た時に大きく見え方が変わるわけで、そのズレはとても貴重って感じ。
という感じで、ペン入れは明確にメリットを感じるが、下描きでは特にないのかもしれない。
けど、今描いている17ページ目の下描きでは少し変わった構図や表現を用いてて、助走が必要って感じるんだよなぁ。頭を使うから、なんかエンジンが入らないと駄目な感覚がある。これは、「その絵(コマ)で何を伝えたいか?」って部分を原稿に落とし込む必要があって、きちんと頭を使う必要があるからだと思う。
なので、頭を使って描く必要がある時には、エンジンがかかるまで助走をして温める必要があるって話かもなぁ。とは言え、ペン入れでそこまで頭を使っている感覚はないんだよなぁ。けど、頭を使おうとはしているから、それかなぁ?それな気がするなぁ。言語化が難しい部分だけど、頭を使おうとしているから助走をしているって考えると腑に落ちる感覚があるから、それは間違いない気がする。
終わりに
とりあえず、頭を使おうとして助走が発生するってのは間違いない気がする。
そういえば、漫画の作業って仕事とか考えごとをした後みたいな頭を使う作業の後に基本行うんだけど、助走期間に休憩をしている面は確かにあるのかなぁって感じた。また、以前漫画の作業をした後に考えごとをまとめる作業を入れたら疲労であまり集中できなかったんだよね。その経験から、漫画の作業って思っている以上に頭を使っているんだなぁって思った。頭を休ませるための助走は確かにあるんだと思う。
けど、漫画の作業だけをする日にも、助走は発生しているから単純にやりたくなくて、頭を使うからエンジンがかかるまで待つって面も間違いなくあるのかなぁって思った。
こういう時に模写とかデッサンみたいな頭を使わなくて済むような作業を取れればいいんだけど、模写できんからなぁ。もしくは、キャラメインのコマで考え無しで、とりあえず描いてみるってのはありかなぁ。ネームとかは下描きと比べて自由に描けている感覚があるから、そういう自由な感覚で描いてみるってのはありな気がする。ネームの時くらいしかあの感覚ないし、どうやったらあの感覚の状態を再現できるか?って試してみようかなぁって感じ。
上手くまとまらん。が、書き出したいことは書き出せたからとりあえずはいいかなぁ。リリースす。