向き不向き
向き不向きってのがあるんだけど、何がそれをそう感じさせているのかってのが気になった。
「向き不向き」を言語化する動機
向き不向きを考えると、勉強の向き不向き、スポーツの向き不向き、仕事の向き不向きってのがパッと思いつく。で、向いていることをして、向いてないことは避けようとする。けど、そういう向き不向きってのが何を基準にしているんだろうか?って気になり、せっかくだから言語化してみようと思ったという気分転換的な日記。
集団内の立ち位置確保と生存本能
まず、向き不向きというのは、集団が関係している気がする。学校や会社などの集団内にいる他人と比べて「向いてる/向いてない」って判断をする。無人島など集団がない一人の環境で「向いてる/向いてない」なんて考えないから、向き不向きというのは他人と比較しての優劣を指しているんじゃないかって思う。
なぜそういう優劣をつけるのかって考えると、人間が集団生活する生き物で、集団内での自分の立ち位置や役割を確立しようと行動するからだと思う。で、向いてないことより向いていることの方がより上の立ち位置、安定した役割を確立できる可能性があるんだから向いてることをしようと生存本能がそう行動させている。
逆に、向いていないことをしてしまうと、上を目指すどころか足手まといや役立たずと見なされて、集団から追い出されて野垂れ死んでしまう。なので、そういう向いていないことをする人間は過去に淘汰されて生き残ってない。今生き残ってる人間は全てそういう向いていることをするという生存本能をもった人間しか生き残ってないんだと思う。
実際、力が無いのに力仕事をしている人がいたら一緒に働く人にとっては足手まといで邪魔。だから、みんなでそいつを追い出そうと仲間外れにしたりいじめるのは現代でも起きている。なので、人間の生存本能としてそういう向いてないことを避け、向いている事をしようとするって性質はあり、優劣を付けるのは集団内での適材適所を見分け生存するためには必要な行為なんだと思う。
「向き不向き」は余裕がある時の選り好み
ただ、そういう「向き不向き」を考えられるのは余裕がある時なだけな気がする。他に選択肢がある余裕がある時に向き不向きを考え、余裕が無ければ向き不向きを考えず目の前に与えられた役割を黙々とこなすって気がする。
現代で言えば、若い人は仕事を選べる立場だけど、年を取ると徐々に選択肢は狭まり、与えられた仕事に向き不向きを考えずに黙々とこなすって感じ。
学生の時に勉強が向いていないと勉強しない人でも、勉強しなければ死ぬってなったらやっぱりする気がするし、生活のために必要となったら向いていない仕事をし続けるわけで、向き不向きというのは余裕がある時の我儘、選り好みな気がする。
判断基準は「時間」と「所属する集団」
少し話が逸れている気がする。向き不向きの判断基準とは何か?を知りたい。
向き不向きの判断基準は時間な気がする。目的地到達までの時間で判断している気がする。
勉強であれば理解するまでにかかる時間。仕事やスポーツであれば飲み込みの早さや結果が出るまでの早さ。そういう、目的地到達までにかかる時間が短ければ短いほど「向いている」し、周りと比べて時間がかかるようなら「向いてない」と判断する。
なので、かかる時間が向き不向きの判断基準だとは思うが、これは所属する集団によって変わる気がする。例えば、頭が良い学校と頭が悪い学校では周りのレベルや学習内容がそもそも違う。会社にしても有名な一流企業に所属したら周りは優秀な人で構成されるわけで、地元では優秀だった人でもその環境においては劣った存在になってしまう可能性があるわけで、所属する集団によって「向いている/向いていない」の基準が大きく変わる。
自信の有無が試行回数(経験値)の差を生む
じゃあ、その所属する集団においての違いや影響は何か?それは「自信」がつくかつかないかや、それによる試行回数の差に影響する気がする。
向き不向きの優劣によって優秀で向いているとわかったのであれば自信がつき、それを能動的に行動をし試行回数という経験値を稼げるが、周りと比べて劣っており向いていないとわかったら自信が無くなり、それを受動的にしか行動をしないため試行回数(経験値)を稼げず、向いている人と向いていない人の間には能力以上の差が開く。
上に書いた例に当てはめると、自身よりレベルの低い集団に所属すれば自信がつき経験値が溜めやすいが、レベルの高い集団に所属すれば自信がつき辛く経験値が溜め辛い。
人間は理由なしに行動はしない生き物で、向き不向きによる自信というのは行動をする理由で、自信があるからそれをしようと試みる。少し前に、才能があるから行動するし、才能がないから行動しないって書いたがそれと同じかな。才能=自信なわけだし。また、根拠のない自信って言葉を聞くが、それも行動をする上で重要な要素なんだと思う。とりあえず行動をしないことには先に進まないわけで「出来るんじゃね?」って安直に考えるのも大事で、そういう人が結果的に上手くいったりするんだと思う。
高いレベルの環境を選ぶメリットと軌道修正
向き不向きによる自信が必要だとすると、自身よりレベルの低い環境に行って自分は優秀だと自信を付けた方がいいのか?って考えるが、これはどっちとも言えない気がする。
というのも、自信をつけ試行回数を重ね経験値を溜めレベルアップしていくと、結局レベルの高い集団に所属することになるから。すると、自身より優秀な人達に囲まれるわけで、自信は砕かれる。早い段階でレベルの高い集団に属しても自信は砕かれるわけで、どのタイミングで自信を砕かれるかの違いだから、どうせ砕かれるなら早い方が軌道修正しやすいが、この辺は何をするかや人それぞれな気がするからなんとも言えないって感じ。
また、勉学やスポーツなどは所属する集団のレベルに合わせた内容になる。自身のレベルより低い環境に行ってしまうと学べる内容の質が低くなってしまうし、周りの人間もレベルが低いため、得られる経験値も低くなってしまうから、行くなら自身よりレベルの高い環境に行った方が結果的に多くの経験値を得られるのかなぁって思った。
「向き不向き」という生存本能と現代の少子化
とりあえず、向き不向きというのは集団内の自身の立ち位置を確立させて生存確率を上げるための行為で、選択肢がある余裕がある時に行う行為。その判断基準はそれにかかる時間で、かかる時間が短ければ短いほど向いている(優れている)。そして、それが向いているとわかったら自信がつき、試行回数を重ねることができて目的地(立ち位置確立)に到達するための行動をするための理由(エネルギー)になるって感じ。
一言で言うなら、向き不向きというのはその人がどう生き残るかを決める生存戦略なのかなぁって思う。
この辺も人間の種の生存本能なのかな?その時代のその環境に適応できない人間が生き残ってしまうと人間という種の生存確率が下がるわけだから、向いている個体にはやる気や活力を自信という形で与え、向いてない個体からは自信ややる気などの活力を奪って自然淘汰されるようになってるという話。
そういう意味だと現代の先進国というのは大体少子化が進んでる。それは環境に適応できない個体が淘汰されてるという状態。でも、発展途上国は増えてるわけで、集団のレベルが一定水準を超えてしまうと、それについていけない、向いていない人達(自信がない人達)が増えて淘汰が始まると言えるのかもしれない。実際、日本ってかなりレベルが高い集団だと思う。なんにしてもクオリティ高いもん。だから、それについていけない個体が淘汰されて少子化が進んでるってのはあるんじゃないかって思った。なので、そういう人達はレベルの高い先進国じゃなくてレベルの低い発展途上国に行けば幸せになるんじゃないかって思った。
終わりに
この日記は久しぶりに関係ない言語化かも。こういうどうでもいいことは中々楽しいなぁ。純粋に楽しめるって感じがある。ただ、マジでまとまらないが、何日も時間を取られるのも気分悪いからリリースするかなぁ。
書いてて思ったが、向き不向きって価値観って寿命が短い昔の生存戦略なのかなぁって思った。昔って、今ほど長く生きることができなかったわけで、短い人生でなんとか長く生き残ろうと思うと、向いていることを探して安定した立ち位置を確保する必要があった。でも、現代は昔の倍近く生き残れる。あ、倍近く生き残れるようになってしまったせいで、老後の生活の資金が必要になってるのか。だから、向いていることをして可能な限り多くのお金を稼ぐ必要がある。寿命が伸びたせいでお金を老後にたくさん残しておく必要があるから少子化が進んでるって考え方もできるなぁ。また、楽をするって生存本能あるし、人間にとっては向いていることをするのが結果的に一番よい生存戦略ってことかも。今も昔も向いていることをするのがベストって話だわ。